2011/04/27

アラスカ先住民の被災体験

デブ・エべンセン・ホーマー(米国アラスカ州)
1989年、アラスカの私たちの大地は、大規模なオイル流出によって多大な被害を受けました。私たちは、神聖な海が毒になってしまう恐ろしさを知っています。
あなた方が立ち向かおうとしているものは、私たちが直面したオイルの恐怖よりも、もっとずっと大きいでしょう。しかし私たちはこの、ある愛すべき原住民の年長者が書いたこの手紙が、あなた方の救いになることを望んでいます。
年月が過ぎ、今、アラスカの海には命が戻っています。自然の強さと回復力には目を見張るものがあります。人間もまた同じ力を備えていると思います。
私たちは、あなた方の勇気と力を尊敬しています。日本は他の世界に対して、大災害に直面した時にも共に手を取り合って立つ姿を見せてくれています。神のご加護がありますように。

エクソンバルディーズのオイル流出の被害を受けたアラスカ先住民のウォルター・メガナック村長
以下は、「水が死んだ日 The Day the Water Diedからの抜粋です。
198911月におこなわれたエクソンバルディーズのオイル流出に対する市民コミッションヒアリングの編集)

先住民の暮らしを知らない人々にとって、エクソンバルディーズのオイル流出事故が先住民コミュニティに与えた影響を理解するには、ウォルター・メガナックによる雄弁な供述を読む以外にない。メガナックはケナイ・ペニンシュラの一部であるポート・グラハム・ネイティブ村の代々の村長である。

「先住民の歴史」は白人の物語とは「異なる物語」である。なぜなら我々の生活は違うものだからである。我々の価値感は異なっている。我々の、水や土地、植物や動物のとらえ方はすべて白人とは異なっている。白人がスポーツやレクレーションや金のために行なうことを、我々は生きるため、自分達の体を生かすため、我々の精霊を生かすため、昔からの文化を生かすために行なう。
釣りと狩りと採集は、我々の伝統と通常の毎日の生活のリズムであり、それはひまつぶしでもなければ雇われた仕事でもない。

私たちの生活は神の作りたもう季節に根付いている。大昔から、先住民の生活は自然のリズムとサイクルに調和してきた。我々は自然の一部である。我々にはカレンダーも時計も必要ない。木々の新しいつぼみの緑色が、冬の巣ごもりから帰ってきた鳥たちが、暖かい陽光が、我々にすべてを教えてくれる。
日が長くなると、我々は準備を始める。釣りのために長靴と船と網とギアを準備する。冬の海岸もさびしくはない。なぜなら春になればこども達も大人達も皆やってきて、海の恵みである2枚貝、巻き貝、ヒザラ貝を集める。最初のサケを捕まえる頃には村中が沸きかえる。それは毎年の唾液あふれる喜びの儀式だ。こどもたちは興奮し、親たちは喜び誇らしげに胸をはり、長老達は村の昔の思い出と共に微笑む。
お腹がいっぱいになると、次は冬のために食物を準備する。サーモンを乾燥させ、薫製し、家族みんなに食べさせるために数百の魚を準備する。すべての家々は洗濯物をぶら下げているそばに魚をぶらさげている。春の村のこの光景と匂いが先住民のやり方だ。これが長老達が我々に教えてきたやり方で、何千年も前アラスカに大きな氷がまだある頃から長老達はそれを教えてきたのだ。その頃はヨーロッパ人はいなかったし、ローマ皇帝もユダヤ人もキリスト教信者もエジプト文明もなかった。ここに我々の祖先だけがいたのだ。アラスカの先住民達はここで春を祝福し、笑い、恋をし、働き、自然のリズムに自分達のリズムをあわせてきた。

最近の世紀において、多くのことが我々におこった。我々は今、トイレも学校も持っている。家には時計とカレンダーがある。朝、オフィスに通う者もいる。子供達は学校へ行く。しかし、時には、オフィスは空っぽになり鍵がかかるし、子供達は学校に遅刻する。なぜなら、仕事や学校よりももっと大切なやるべきことがあるからだ。例えば、海岸にヒザラ貝を取りに行ったり、最初の魚を見に行ったり。
我々の生活の根っこは水と大地の中に深く広がっている。それが我々なのだ。我々は、我々の兄弟である熊や鹿のようだ。我々は大地に暮らし、食べ物のほとんどは水の中にある。熊は魚を食べ、鹿は海草を食べ、我々先住民は海と水の中に生きるすべての命を食べる。大地と水は我々の命の源。水は神聖なもの。水は洗礼盤に似て、その豊かさは我々の命の聖餐である。
非先住民が我々の土地にやってきて以来、我々はかつて持っていたものをすべて失った。が、水との関わりだけは決してなくさなかった。水は我々の命の源だ。水が生きている限り、先住民も生き続ける。

春の初めの頃だった。魚も、巻き貝も、どんな春のきざしもまだ我々にはなかった。緑が芽生え始め、数羽の鳥が飛び、鳴いていた。季節の興奮がちょうど始まった時、我々は一つのニュースを耳にした。水の中にオイルがある。大量の水を殺す大量のオイルがある、と。信じられない衝撃。我々の伝統的な幸福な時代には、まさか水を死なせることが可能だなんて全く思いもしなかった。しかし、それは可能だったのだ。
我々は海岸を歩いた。しかし、巻き貝もフジツボもヒザラ貝も、岩からはがれ落ち、死んでいた。我々は我々の最初の魚、年間の最初の魚をとらえた。それは、伝統的な喜びのすべてだった。しかしそれはオイルの検査を受けるために州に送られた。その年の最初の魚は得られなかった。
我々は海岸を歩いた。しかし生きているものはなく、死だけがそこにあった。死んだ鳥、死んだカワウソ、死んだ海草。我々はお互いに抱き合い、涙と悲しみと損失を共有する前に、まだもう一つの荒廃に苦しむことになった。

我々は、仕事を与え、高い報酬を与え、たくさんの金を与える石油会社によって侵略された。我々は動揺の中にいた。我々はオイルをきれいにする必要があり、オイルを我々の水から取り除き、死を取り除き、命を取り戻す必要があった。我々は自暴自棄に酔っていた。我々は提供されるものを受け取る以外に選択肢がなかった。そして、我々は仕事につき、注文を受け、分裂し、無意味な忙しい仕事に忙殺されることになった。
我々は戦い始めた。我々はコントロールを失った。我々はお互いの信頼をなくし、日々の生活のコントロールを失った。誰もが他人にあつかましくなった。我々先住民は周りに支配されることに慣れていない。我々はそれを好きではない。しかし、今や、我々はお互いを指さす。みんなが支配者になりたがる。我々はチームのようには働かない。我々は村のコントロールも失った。我々の幼稚園はコミュニティセンターで運営されていた。我々は幼稚園を閉鎖し、石油会社がそれを所有した。今や我々は石油会社のために働いている。我々は金のために働いている。村の春の季節は失われ、すべて破壊された。

我々は病気になった。村中の大人も子どもも、その年海岸で働いた者は、腹痛、頭痛、ひどい風邪、たくさんの病気になった。我々は今やお互いにほとんど話をしない。誰もが短気になった。誰もが相手に飛びかかり、非難する準備が出来ている。人々は怒り、恐れて、困惑する。年長者は無力であると感じる。彼らは働くことが出来ない。彼らは掃除をすることができない。彼らは食物を集めるなど冬の時期に備えるすべての行動をすることができない。
そしてほとんどの者が、若者達に先住民のやり方を教えることができなくなった。水が死んでしまったとしたら、子供達はどうやって価値や方法を学ぶのだ? 水が死んでしまうなんて、そんな恐ろしいことが。もし水が死んでしまったら、おそらく我々はみな死ぬだろう。我々の遺産、我々の伝統、自然と互いに関係してきた我々の命と生活の方法も。

石油会社はオイルの流出防止について嘘をついた。今、彼らはオイルの除去について嘘を付いている。我々はみな、海岸で何が起こっているか知っている。一つの大きな岩の掃除に一日中費やす。やがて潮が満ちると、その岩は再びオイルによって覆い尽くされるのだ。岩の表面をふき取り、防護スプレーを吹きかけるのに1週間を費やす。しかしその岩を拾い上げると、下には4インチのオイルがある。

我々先住民は、水と海岸を知っている。しかし我々は今、何をすべきか命令されている。彼らは我々に命令すべきではなく、どうすればよいかをたずねるべきなのに。我々は、富める強大な巨人:石油企業と戦う。しかし同時に、我々は石油企業から依頼を受け給料をもらっている。我々は半分に引き裂かれる。
終わりはあるのか? 5年たてば、我々は再び春の水の命を見ることになるかもしれない。しかし本当に、水と海岸は我々にその姿を見せてくれるだろうか。次の5年の間に、我々の生活に何が起こるのだろうか? 洗浄作業が終わり金の支払いが終わるこの秋には、いったい何が起こるのだろうか? 我々はこのような荒廃をくぐり抜けてきた。我々の村は水疱瘡と結核により、ほとんど破壊された。我々はアルコールとドラッグ濫用と戦い、なんとか生きのびてきた。

白人の賢者がかつて言ったという。「命あるところに、希望がある」
それは真実だ。しかし今我々が眼にしているのは、死、お互いの死ではなく、命の源である水の死だ。我々は多くの助けを必要とするだろう。かつてない長い冬、水の死という長い不毛の季節を生きるための、多くの伝聞を必要とするだろう。
私は長老である。私は村長である。私は希望を失わないだろう。私は仲間達を助けるだろう。我々はかつて、こんな種類の死を生きたことはなかった。我々は過去から学び、お互いから学び、そして生きていくだろう。水は死んだ。しかし我々は生きている。そして、命有るところ、希望がある。

ウォルターメガナック村長、ポート・グラハム・ネイティブ村

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